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MOON

MOON vol.16 / ことば / #3C3228

2021.11.1

− ことば −

Contents

◆ 削ぎ落としの技術/KAWAGUCHI Yuko
◆ 「ことば」/HIRAI Yuta
◆ 猫のおしゃべり/MIYAKITA Hiromi
◆ ことば/MORI Atsumi


削ぎ落としの技術


おりとりて はらりとおもき すすきかな

飯田蛇笏が詠んだこの俳句が好きだ。日本語は美しい、そう感じさせてくれる。

「ススキは、はらりと軽そうに見えるのに、折り取ってみると、ずっしりと命の重さを感じるよ」
このような意味なのだろうと解釈する。どんなものにも生命があり、それはどれも同じように重いのですと、投げかけられているようだ。秀逸だなぁと、思わずため息が出てしまう。

俳句は、17音でできている。俳句を愛する人たちは、季語、言葉選び、助詞、語順、表記などなど、細部にまで神経を使い、仕上げていくに違いない。一音一音、削ぎ落としの技術により生み出された、無駄のない洗練された「ことば」たち。私は、その一連の行為自体に、美しさを感じる。

削ぎ落としの技術は、広告をつくるときにも当てはまる。あれもこれもと言いたいことを詰め込んでも、人の心には届かない。伝えたいことは一つに絞る。削ぎ落として削ぎ落として見えてくる、本当に伝えたいことだけを表現する。それをコピーとビジュアルで適切に表現できたとき、ゾクゾクするような広告ができあがる。

現在、削ぎ落としの技術の訓練として最適なツールは、「Twitter」なのではと感じる。誰でも手軽に投稿でき、反応の有無もすぐ分かる。「バスり」を起こすと、一瞬だけヒーローになれる。炎上の危険もはらんでいるので、言葉に責任を持つようにもなる。140文字の中で、言論の自由を思い切り行使できる。飯田蛇笏だったら、どんなつぶやきをしただろう。想像するだけで、わくわくする。

「削ぎ落としの技術」を磨くことは、相手に伝わる文章を書く技術を磨くことだと考える。読み手に、「この思いをどうか感じ取って欲しい」と思ってもらうこと。書き手ファーストではなく、読み手ファーストであること。これらの気持ちこそ、日本語の、人間の美しさのひとつではないだろうか。

先人たちの俳句に酔いしれながら、「ことば」と向き合う、秋である。


KAWAGUCHI Yuko
profile, portfolio


「ことば」


自分は、多くの言葉から出来ている。

書物や歌詞、落語や漫才、漫画やアニメ、映画やドラマ。
報道や演説、ラジオや配信、誰かの呟きやキャプションなど。

心打たれたり、驚かされたり、動揺したり、共感したり、
受け入れられなかったり、反対したり、腹が立ったり。

数多くのメッセンジャーたちから受け取った言葉たちが、
今も自分の中を流れ続けていて、
何かを考えるきっかけを言葉からもらい続けている。

そして、自分も、
自分の考えを言葉にして、
関わる人と話をしたり、文字で言葉を交換する。

その会話の中で、自分はまた言葉をもらう。
まるで呼吸のように、言葉を吸ったり吐いたりしながら生きている。


方角はLOCAL そこで合わすFOCUS
到達点は儲かるだけじゃなく豊作

友達のラッパーが、自分たちの結婚式に贈ってくれた曲の中に、
こんな一節があった。
例えばこんな一言が、今も自分の中心に指針として在り続ける。

もらったままでは終われない言葉たちに、生かされる。
出来ることなら、自分もそんな言葉を返したい。
そして出来れば、また、もらいたい。
そしてまた、返したい。
そんな関係のなかで生きていけたら、本当に嬉しい。

そして、自分が吐いてしまった失言や暴言も、忘れない。
あの発言の後悔からも、今の自分は出来ている。


HIRAI Yuta(CRAB WORKS)
https://crabworks.jp


猫のおしゃべり


飼い猫のコトちゃんは15歳です。人間だと80歳くらい。
MOON vol.13で飼い猫のコトちゃんが登場しましたが、生まれてから親兄弟以外の猫とほとんど交流せず生後2ヶ月から室内飼で一緒に暮らしてきたので、ヒトの言葉を少し話してるんじゃないかと思う時があります。その中でもこれ絶対に言ってるというワードが2つあります。

「オアヨォゥ」

朝やお昼寝のあとに、コトちゃんが起きてくる時に言ってます。

「おはよう」ですね。

「ニャイワゥ」

これは、よくみるとご飯がありません。

「無いわ」です。コトちゃんのご飯が無いときに、いつも私がそう言っていたのでしょう。

コトちゃんにいつも言葉で語りかけているので、猫でも音をまねて伝えようとしてるのではないかと思ってますが、飼い主の勝手な妄想かもしれません。私がご飯を食べているとコトちゃんもおもむろに食べにゆく。ご飯のあとに膝にのるのが好きなので隣で待っている。子供の頃から変わらない「遊んで!」の姿勢があり、何を言ってるか分からないけれど、たくさんお喋りしてくれてとにかく甘えたい時の感じもある。1Fで会話が盛り上がってると「なんだなんだ」と2Fから降りてくるし、小包が届いて喜んで開封していると、「なになに」とやってくる。同じ「にゃー」でも音色や顔の表情でさまざまなことばを紡いでますね。今日はどんな「にゃー」を言ってくるかな。

猫3匹の暮らしかな

MIYAKITA Hiromi
https://miyakitahiromi.com/


ことば


なんであのとき、ちゃんと言葉にして伝えられなかったんだろうとか、なんであのとき、あんなことを言ってしまったんだろうとか、言葉に関しては後悔することが多い。
傷つきたくなかったり、自分を必要以上に大きく見せようとしたり。
逃したタイミングは戻らないし、放った言葉はなかったことにはできない。
せめて、後悔の度に成長していると思いたい。

悩んだとき、落ち込んだとき、頭の中で色々とぐるぐる考えてしまうときは、紙に書きだすようにしている。
自分の中でぐるぐるしているものを、ことばにしてみる。すると、なんだこれだけのことか、とちっぽけに見えたり、やりたいこと、考えていることが明確になって、次の行動に移せたり。
誰に見せるでもないことばが、私を形づくっている。

社会人になって3年目のとき、とあるところに大きな迷惑をかけて、大目玉を食らったことがある。
自分の情けなさと申し訳なさで一杯になりながら、一緒に仕事をしていた人たちに報告すると、私が一人で責任を感じて落ち込んでいるんじゃないかと、口々に心配と労いの言葉が返ってきた。
口に出さずとも、空気で伝わることもあるけれど、そうして言葉をかけてもらうことで、私の心はものすごく救われた。
ちゃんと言葉にするって大事だなと感じた瞬間だった。

今や、随分簡単に自分のことばを伝えられる時代になった。
メールにして、メッセージアプリに載せて、また、SNSやWEBを使えば、全世界の人の目に触れさせることすら、容易にできるようになった。
ネット上で見かけることばは、まるで人々の総意のように感じてしまうことがある。
どこの誰のものかもわからないことばに救われたり、傷ついたり。
どこの誰のものかもわからない、顔の見えない“みんな”のことばが世の中を動かしたり。

人類が自分の意思を伝えたいと思って生み出した“ことば”は、どんどん発達して、人類の発展を支えてきた。
そして、人類の発展とともに、ことばが果たす役割は、どんどん複雑になっている。

簡単に、たくさんの人のことばに触れられるようになった。だけど、たくさんのことばにまわりを固められて、少し窮屈なようにも見える。
私たちは、まだまだことばとの付き合い方を学んでいかなければならないのだろう。

目の前の人に向けたことば。
自分に向けたことば。
顔も知らない、どこかの誰かにあてたことば。

目の前の人に、きちんとことばで伝えられるようにしたい。
なるべく、自分の心に無理をしなくていいことばを発していたい。
誰かの心を軽くするような、そんなことばを発せられる人でありたい。
ことばひとつで踊らされない、頑丈な自分でいたい。


MORI Atsumi
元・丹後在住。現在は京都市内でデスクワークの日々。


編集後記

外での撮影は、天気に左右される。スケジュールを組んでいても、「雨なので…」と延期になるケースは多々ある。延期にできる時はよいが、場所やモデル等の関係で、強行しないといけないケースがある。入稿が迫っている時は、撮影できる範囲でベストな写真に仕上げるしかない。冷や汗が出る瞬間だ。

だからだろう、いい瞬間に立ち会えた時は、感動する。それが、粘りに粘った時の奇跡なら、なおさらだ。なんとも言えない、畏敬の念を感じる瞬間。先月は、運良くそんな瞬間に巡り合うことができた。

今月も、一瞬でもそんなキリトリがあればいいなと期待している。


2021.11.1 KAWAGUCHI Yuko


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