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MOON

MOON vol.27 / 記念日 / #1e0046

2022.10.1

− 記念日 −

Contents

◆ 誕生日/KAWAGUCHI Yuko
◆ 「記念日」/HIRAI Yuta
◆ 忘れないために/MIYAKITA Hiromi
◆ 記念日/MORI Atsumi


誕生日


自己肯定感に乏しい人は、自分を“かわいがる”ことが苦手だ。常にネガティブで、誰かと比較して自分はダメな人間だと悲観したり、人と関わることが苦手で、陰口を言われているんじゃないかと必要以上に気にしたりする。

「誕生日」は、自分をかわいがってあげてもいい日、にすればいいと思う。

何らかの物事や出来事を記念する日、というのが「記念日」。例えば、「終戦記念日」のように過ちを忘れないようにだとか、「防災の日」のように日々の心構えを見直すだとか、「コーヒーの日」のように企業等の販促のためだとか。その目的は、「意識付け」である。

ゆえに、誕生日という「記念日」は、自分に意識を向ける日 、だと思う。

お祝いする、しないはどうでもいい。プレゼントを贈る、もらうもどうでもいい。他人との関わりなんかどうでもよくって、必要なのは、“自分をいかにかわいがれるか”という意識だと思う。

例えば、その日だけは「好きな方を選んでと言われたら、本当に好きな方を選んでみる」とか、その日だけは「思ったことをそのまま言い返してみる」とか、その日だけは「天気が悪いという理由だけで会社を休んでみる」とか。ちょっとしたことでいい。他人に迷惑をかけない程度に、自分の感情に素直になれたら、それは最高の「記念日」になる。

自己肯定感の話だけではない。ヤングケアラーという言葉が流行語になるほど、高齢化社会は進んでいる。介護に追われ逃げ出したい人、誰にも相談できず悩む人は、これからどんどん増えてくる。そんな時、自分をかわいがる術を持っている人は強い。「無理をしない」ができる人は、強い。

それができないのが人間である。
だからこそ、「誕生日」だけは、自分をかわいがってあげてもいい日、にすべきなのだ。

自分を一番好きになってあげられるのも、大切にしてあげられるのも、自分だ。
それを忘れないでほしい。


KAWAGUCHI Yuko
profile, portfolio


「記念日」


一言多かったり、一言足りなかったり、
気持ちを言葉で表すのはむずかしい。

自分とあの人は違うので、
当然すれ違う。
すれ違いが生まれた時こそ、
自己紹介のチャンス。

お互いの違いを、
ちゃんと笑い合えるように話したい。

勘違いも、話せば解けるかも。
場違いも、話せば馴染めるかも。
食違いも、話せば共有できるかも。
間違いも、話せば許し合えるかも。

今日は、あの人と、違いを紹介しあえた日。

笑ったり、許したり、
自分はやっぱりそっちがいい。


HIRAI Yuta(CRAB WORKS)
https://crabworks.jp


忘れないために


飼い猫のコトちゃんは生後2ヶ月頃に引き取りましたが、誕生月は予測できても誕生日が分からないので、5(コ)10(ト)ということにして 、5月10日生まれになりました。
結婚記念日は絶対に忘れるので2月14日のバレンタインデーです。分かりやすくて忘れないです。助かります。ちなみに誕生日は3月3日なので覚えてもらえます。

記念日ってちょっとしたことなのに、覚えてもらっていたり、お祝いすると嬉しいものですね。これからも記念日は語呂合わせとか、覚えやすい日にしようと思います。

MIYAKITA Hiromi
https://miyakitahiromi.com/


記念日


かの国では、「腕を折る方法」が検索ワードとして急上昇したらしい。
招集令状から逃れるため、国境周辺は大渋滞し、国内では大規模なデモが繰り広げられた。

何度思ったかしれない、「悪い夢を見ているような」ニュースが流れる中、学生の頃に読んだ小説を思い出した。
戦争が始まった現代の日本で、危険の及ぶ恐れのある都市部から田舎に帰ってきた女子大生の主人公が幼馴染の「ダーリン」と過ごす夏は、同じ国で戦争が起こっているなんて嘘のように平凡で。けれど、いよいよ首都が焼けたとなったとき、18歳以上の健康な男子の徴兵が決まり、ダーリンのもとにも招集令状が届く。
頭がいいわけでも、特別な技能を持っているわけでもない、けれど、心の優しいダーリン。
心配しなくても、頭のいい人たちが何とかしてくれると言っていたダーリンが、殺したり殺されたりするような場所を見たくないと言ったとき、2人でダーリンの足をつぶすシーンは、目を背けたくなった。
現代の日本のどこにでもありそうな日常の風景と、その端々に垣間見える戦争の気配とのギャップが妙にリアルで、手足の先から体温を奪われていくような恐怖を覚えた。
どうかフィクションのままであってほしいと願ったことが、今、現実に起きている。

戦いが終わったとき、仮にどちらかが勝利する形で終わったとして、勝った方は、その日を記念日として祝うのだろうか。
その時、どれだけの国民がそれを心から祝えるのだろうか。
負けた方はもちろん、勝った方も多くのものを失って、それでも喜ぶことができるなんて、私には到底思えない。

SNSを開くと、子どもの誕生日を祝う友人の投稿が飛び込んできた。
子の成長を喜ぶコメントとともに、「パパ1周年」と書かれたメッセージが目に留まる。
1人1人が、自分にとって大切な日を祝うことのできる国が、いい国なんじゃないだろうか。


MORI Atsumi
元・丹後在住。現在は京都市内でデスクワークの日々。


編集後記


「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
俵万智『サラダ記念日』/河出書房新社(1987)より

あまりにも有名なこのフレーズに、私は幾度となくときめいてきた。
不意にもらった一言に、人は助けられたり、勇気づけられたりする。

人はひとりでは生きられない。
私は最近、それを痛感している。


2022.10.1 KAWAGUCHI Yuko


『MOON』とは…
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