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MOON

MOON vol.11 / 19:14 / #ABABAB

2021.6.1

− 19:14 −

Contents

◆ 夏至/KAWAGUCHI Yuko
◆ 「19:14」/HIRAI Yuta
◆ 向こう側/MIYAKITA Hiromi
◆ 日の入り/MORI Atsumi


夏至


今年の夏至は、6月21日。
“げし”という音の響きが好きだ。映画のタイトルでも成立しそうな響き。国立天文台のデータによると、今年の京都の夏至の日の出は4時43分、南中は11時59分(高度は78.4°)、日の入りは19時14分とのこと(6月1日現在)。
夏を迎える儀式のようで、二十四節気の中でも、特に私の細胞を震わせる。

谷川俊太郎の「朝のリレー」が好きだ。朝日を見るたび、カムチャツカの語感とともに、この詩が脳裏で再生される。今は海外旅行ができないので、世界を体験することは難しいけれど、詩を辿りながら想像を膨らませることはできる。日の光を感じながら、ぼーっと外を眺めていると、「今日も一日頑張ろう」と気持ちが立ち上がる。

影が短くなる昼。この時間帯は、仕事やらなんやらで必死なので、いつも“時間”を忘れている。デスクワークの中、たまに外に出かけると、暑さで一気に倒れそうになる。それでも、全身に光を浴び、吹く風にあたり、草木の匂いをかぐと、心が落ち着く。自然に助けられている。

そして迎える日の入り。日没は、日常をよりドラマチックにする。沈む夕日を見ながら話す言葉には、愛のエフェクトがかかる。流す涙は、より濃い光を放つ。丹後には、夕日が有名な浜辺がある。日本中どこで見たってその美しさは変わらないだろうが、それでも、海に沈む夕日はさらに美しさが増してみえる。ゴールデンアワーだ。

私の一日は、こうして過ぎる。

たかが、一日。されど、一日。

二十四時間を構成する一分、一秒には、必ずストーリーがある。そのすべてを大切にしたい、今はそう思って過ごしている。
今日も明日も明後日も、自分らしくいられるように。
さて、今年の夏至は、どんなストーリーが生まれるだろうか。


KAWAGUCHI Yuko
profile, portfolio


「19:14」


日が出ている時間が長いと、
時間に許されたような気持ちになって、
なんだか嬉しい。

日の入り際から日没。
僅かな余韻、トワイライト。
物思いに耽るにはいい時間。
ビールなどあれば、なおいい。
橙から藍色、そして黒へと移行する空気。
曖昧な境目はゆっくりと、
でも急いで変化する。

夜が来る。

自分が心に小さな平穏を取り戻している今も、
抑圧、弾圧、暴力、差別などに怯えて過ごしている人が、
同じ世界にいるんだなとふと思う。
想像力は何処へでも飛べる。
自分の場面と、あの人の場面には、
どうして差が生まれたのか。
自分だけが許されたような気持ちになって、
なんだか悲しい。
結局、ここへはよく来てしまう。

存在を直接脅かされるようなことはない。
そんな暮らしの中で、
虐げられている人たちを
思っているだけの自分は偽善者だ。
本当に何にも分かっていない。
分からないことが多すぎる。
だから、知りたいと思ってしまう。
学んだら、自分の意見を持ちたいと思う。
でも、その意見が正しいのか不安だ。
だから、家族や友達に訊いてみたい。
自分以外の人の意見も聞いてみたい。
意見を交換してみたい。
それくらいのことしかできない。
そんなことでいいのだろうか。
何も変えられないのではないか。
迷いや問いが内側を回り続けて悪酔いする。


でも、やっぱり嫌だ。
その理不尽は人がつくったもの。
人の心の弱さがつくったもの。
そんなものに傷つけられる人がいる。
そういう胸糞が悪い事実には、
どうしても自分の直感がNOと言う。
偽善者でもなんでもいいけど、
嫌だと思うことには嫌だと、
やっぱりこの一言を言うことでしか
何も始まらないのでは、と思う。

自分は何もできないし、
何も変えられないかもしれない。
でも、続いていく歴史の中で、
自分がどういう人間だったか、
その意思だけはちゃんと表しておきたい。
この時代も、この世界も、この国も、
ちゃんとヤバイところまで来ていると思う。
未来は、自分たちの一言や一手が決める。
せめて、理想の行き先を向いて倒れたい。


自分はまだ選択できている。
それを当たり前と思わないようにしたい。

明日もまた朝が来るんだろうか。
そうだと嬉しい。


HIRAI Yuta(CRAB WORKS)
http://crabworks.jp


向こう側


普段は丹後で暮れゆく海を味わっていますが、熱海では水平線から昇る朝陽を眺めることができます。こちらに来て初めて「月の出」という言葉を使いました。2021年5月27日はスーパームーンで皆既月食でしたが、月の出は逃してしまい、数時間後、空を見上げた頃には雲がかかって見ることはできませんでした。前日もよい月を見ることができると思い、空を見上げました。5月26日午後7時40分頃に初島の方向を眺めると、闇の中の雲間に微かに見える月の周りは虹が架かったような空でした。

19:14に陽が沈む日があり、翌朝にはふたたび陽は昇る。始まりや終わりがどこなのか本当のところは分かりません。断崖絶壁に建てられたホテルの窓の外から奏でられる波の音を聴いていると永遠に終わらない営みに包まれ安堵と畏れを感じます。二度と同じ波音を聞くこともありません。お月様の見えない夜は波音の無限ループに引っ張られそう。向こう側に連れてゆかれないように気をつけないといけません。

MIYAKITA Hiromi
https://miyakitahiromi.com/


日の入り


19時14分。この時間にピンとくる人はどれくらいいるだろう。
ちなみに私は全くピンとこなかったが、今年の夏至の日の入りの時刻なのだそうだ。

昔の人たちは太陽で季節を測り、日の長さの変化に季節の移り変わりを感じていたのだろうけれど、今の私はといえば、平日は基本的に屋内でパソコンを前にデスクワークに勤しむ日々で、朝通勤してからほとんど日光を浴びることのないまま、日もすっかり暮れた頃に帰宅の途に就くことも多い。
それでも、この頃は職場を出た時に外がまだ明るいことも多くて、少しそわそわするような、得したような気分になりながら、夏が来るんだなぁとそれなりに季節の変化を感じたりしている。

そういえば、日が沈む瞬間って最近見ていない。

太陽が沈む瞬間を見るというのは、案外難しい。
タイミングの問題もあるけれど、まちなかではたいてい建物の陰に隠れて、水平線に沈む様子というのはなかなか拝めない。

私が恐らく初めて水平線に沈む太陽を見たのは、丹後町の大成古墳。
沈むというよりも、海にじんわりと溶けていくようで、空が太陽の周りの燃えるようなオレンジから徐々に黄色になり、黄緑色になり、水色になって、虹色のグラデーションが描かれていく様子を眺めている時間は、ショーを眺めているようだった。

東京都庁の展望台から見た夕日も、強く印象に残っている。
ビルや建物がびっしりと並ぶまちを、水平線に沈もうとする太陽がオレンジ色に染める様子を地上45階から眺めながら、何十万、何百万という人が、今、この足下のまちで日暮れを迎えているんだなぁと思いを馳せた。

とはいえ、職場の窓から眺める夕焼け空だって、なかなかどうして捨てたもんじゃない。
今の部署は西に面して窓が並んでいて、書類をシュレッダーにかけながら建物越しに眺める夕焼け空は、ちょっとしたお気に入り。
日によって、時間によって表情を変えるグラデーションを、今日も飽くことなく眺めている。


MORI Atsumi
元・丹後在住。現在は京都市内でデスクワークの日々。


編集後記

キャッチのビジュアルは日没を撮りたかったけれど、ここのところの梅雨で出合えなかった。自然現象は、思い通りにいかないのがモドカシイしオモシロイ。

だから今回は、太陽をスケッチ。
太陽の光はカラフルだ。だからだろう、みんな同じ太陽を見ているはずなのに、色も光量も感じ方はそれぞれ。受ける感情もそれぞれ。

明日は違って見えるかもしれないけど、今日はこれで。

2021.6.1 KAWAGUCHI Yuko



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